おもろいはなし・きになるはなし *20

子供たちが全員社会人になり、悠々自適の生活をすごしております。
このページをたまに読んで、子供達が母を思い出してくれると
うれしいです。

2005.10.3(月)
山田詠美さんの作品を読み始めた。最初は、激しすぎる・・と
とまどっていたけれど、登場人物がアメリカ人なので、普通に受け入れられるようになり、
「ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー」を、読み終える頃には、
なんか絶賛?そんな感想を持つようになった。
甘く哀しく美しい8つの恋物語。
すばらしかった。
陳舜臣・・・言語の感性は天賦のもの。
藤沢周平・・・天性の才能と肯定的で力のある文章。
田辺聖子・・・サガンを抜く女流の出現。
井上ひさし・・・小説の本道。
山口瞳・・・文章に潔さ、小気味よさ。
五木寛之・・・空前の才能。
直木賞選考委員は・・・このように大絶賛したとか!!
自分の好みで今まで、作者を選んでいたけれど、自分の蔵書を整理した結果、
長女が置いて行った本がたくさん出てきて、読まず嫌いはもったいない・・と、
読み始めたら・・・・これが・・・・なかなかおもしろいし、娘が思春期・青年期に
読んだ数々の本だから・・・愛おしさもつのる。
われながら・・・GOOD IDEA だったと・・・思うよ!!
吉本ばなな・・・村上春樹・・・と読破。
まだまだ・・・哲学的なものから、心理学的なハードカバーなどなど
たくさんある。娘の読書量には感服!!

2005.10.5(水)
現在10:58
今日は、朝から読み始めて、1冊読み終わった。
朝食の準備をし、夫と次男が食べ、それぞれが出勤していくかたわらで
ほんと・・・一気に読んだ。ふたりが出勤し、ゆったりとひとりで朝食をとりながら
すごい勢いで読んでしまった。
山田詠美さんのすごさを・・知ってしまった。
それは
「ジェシーの背骨」
恋人と、その息子11歳のジェシー・・・との暮らし。
すばらしいものだった。子供の本質・せつなさまで表現されていた。

読書って・・ほんといいものです。
解説は「小川洋子さん」が書かれていて、詠美さんのどこがすごいか
絶賛して書かれていた。そのなかで、詠美さんの作品で、
「トラッシュ」 「ベッドタイムアイズ」について書かれていた。わたしの本棚には
この2冊は無いみたい?なので・・・今日は、必ず購入して・・・読む!!

今日は、ルネ大橋に行くので、少しはやく家を出て、天神で
福ビルの丸善に行った。
小川洋子さんに影響を与えた、山田詠美さんの「トラッシュ」と
「ベッドタイムアイズ」を見つけた。。。「うれしか〜〜」
娘が置いて行った、詠美さんの本に加えて・・新しく購入することに
なってしまったのは・・・小川洋子さんの解説があまりにも強烈だったから!!

2005.10.7(金)
「老人保健施設ゆるぎそう」から
中央病院へ・・・愛媛の母が、再々・再々入院。
昨日、愛媛の妹から電話で「母の貧血がひどいので、ゆるぎそうの
ドクターから、中央病院にて検査・・そして即入院になるだろう・・・と、言われて
明日、朝9時に、中央病院にて、胃カメラ検査をする」と連絡があっていた。
検査の結果によっては、わたしも行かねばと・・準備して
終日、電話の前で連絡を待った。
昼前に連絡があり・・・貧血は、昨年5月胃潰瘍で吐血したときのレベル。
貧血の原因は食道の静脈瘤がやぶれて・・ふつうは吐血になるのだが
母の場合は、下血(?)なんだろうか?水洗トイレは高齢者には
そのへんは確認しにくいみたい。
それで、即入院して・・・まずは、輸血によって、貧血を改善して
静脈瘤の手当てをするらしい。
午後、ゆるぎそうにおいてあったものを片付け、
いろいろな手続きも終えて、自宅に帰った妹から電話があった。
母は、中央病院がとっても大好きで、AJ会病院にいるときも
ゆるぎそうにいるときも、常に「中央病院に入院したい」と、言っていた。
だから・・・ふらふらしているものの・・・上機嫌で、テンション高く・・入院したらしい。
最初は、4人部屋にしていたが、半日で、そのおしゃべり(しゃべりぱなし)に
病院側が、「本人も、同室者も安静にできない」と・・判断して
妹もそう思って・・・午後には・・・個室にした。
一日、3000円かかるらしいけれど、しばらくはね。
清潔で、おちつけて・・母も喜んでいたとか。
でも・・・明日になったら・・・しゃべりたいということで不機嫌になるかもしれない。
また、お守りの中に、センサーが入っていて、病室を出ても
居場所がわかるようになっているお守りを首からかけてもらったらしい。
妹は、ひとりで、病院の転院をやりどげてくれた。
しっかりものの妹は、ほんと頼りになる。
さすがに・・・・疲労困憊と言っていた。
なんの役にも立たない姉で・・・ほんと・・・申し訳ない。
妹は、明朝、母の様子を見て、ほんものの自宅がある松山に帰る。
しばらくは・・・松山でゆっくりして下さい。

母のお見舞いに愛媛に行ったときや、妹と電話で様子を聞いたときは
その都度、このHPに書いてきた。自分自身への記録と、子供達や
親戚の方にも、見ていただけるから。
ここで、大きな転機を書いたページを書き出して、今後チェックしやすいように
しておこうと思う。
おもろいはなし・きになるはなし *12
2004.5・・・吐血。中央病院入院。
2004.6・・・回復し、愛寿会病院に転院。
おもろいはなし・きになるはなし *14
2004.10・・・愛寿会病院敷地内・老人保健施設「ゆるぎそう」に転院
おもろいはなし・きになるはなし *16
2003年夏からの・・・経過
母の病状の変遷の記録。
200.10.8(土)
妹から電話
10.7(金)に中央病院の個室に入院した母は、翌朝、妹が
行ってみると、「ここはええわね!」と上機嫌だったとか。
また、絶食中なので、栄養は点滴。そして輸血。
なんと、点滴しながら、個室内をかたづけ、掃除したげな!!
わたしは、元気なのに・・・2日ほど掃除してない!!
また、妹は担当ドクター(これが若いイケメン。。妹はキムタクよりハンサムという)と
話をしたそうで(ドキドキ・ワクワクしながら)・・・
出血は3箇所くらいあるらしく、静脈瘤の治療は火曜日15:00〜するそうで、
やりかたは、胃カメラを飲むやりかたでするらしい。
子宮切除、乳房切除の大手術を経験した母は
「たいしたことないわね〜」・・・すごさ〜〜〜!!
むかしの女は・・・強い。じつに強い。
でも、その治療でも、ミスすると出血がおきるから・・不安だよね・・・と、
妹とふたりで・・・ボソボソと話した。
人間、生まれるのも大変で・・・新生児もがんばって生きる。。
そして・・・人生の終盤も・・・病気とのたたかいで・・・そうとうしんどい。
人生とは??



そして、10.11(火)
妹が病院に行ったら、「ここはつながれていて、自由がきかん。
前のところへ帰りたい」と・・・母は言った。
点滴しているし、ポータブルトイレだし、うろうろできないし、
大好きなお菓子も食べられないから、
つまらないのでしょう。
「貧血がよくなったら、ゆるぎそうに帰れるよ」ということで
治療に専念してくれることになったそうです。
15:00からの静脈瘤の治療は、ドクターの都合で15:45〜くらいに
おくれたけれど、無事に10分くらいで終わったそうです。
3ヶ所、治療したそうです。
いつも、胃カメラを飲んだあとは、疲れるようですが、
今日も、終わると・・・母は眠ったので、妹は帰宅したそうです。
これで、貧血が改善できれば、また・・・AJ会病院か、ゆるぎそうで
暮らせるようになるでしょう。
そのときは、また、、「中央病院に入院したい」と・・・言うのだろうか??

待ってました!!
かわいい・あいらしい・いとおしい
グランドサンふたり!!
ツーショットで〜〜す!!




2005.10.12(水)
山田詠美さんの作品・3冊目
読み終わった。
「トラッシュ」

トラッシュ・・trash・・・とは、英和辞典によると
ごみ・くず・廃物、がらくた
文学・芸術の・・・駄作・くだらない話
能なし・人間のくず
そんな意味。
先日、読んだ「ジェシーの背骨」の解説・・・小川洋子さんの解説の中で・・
{ 「トラッシュ」が生まれたのは
あの「背骨」がもたらしたものすべてを、もっともっと言葉で埋め尽くしたい
という願いがずっと消えずにあったからだと思う。。。}
と、書かれていたのを読んで・・すぐ買ってきて・・読んだ本!!
繊細さ・家族愛・他者への同情・肉欲・孤独・含羞・誇り・・。
それらが渾然一体」となった人物たちたちを、
より純粋に、より猥雑に、より滑稽に、フラグメントの集積を
つなぎ合わせて、「トラッシュ」に結晶させた。
言葉を尽くして描いた渾身の長編だった。
深かった。
いろいろな愛の形があることを・・・いまごろ知った。
自分の・・おちゃずけ民族のことなかれ人生・・をわれながらあきれかえった!!
なんとまあ・・・不熱心に人生をすごしてきたものだ・・・と。。
この作品の解説は「宮本輝氏」が書いていて、なんと
「山田詠美さんの作品」は「チェーホフの作品」と共通するものがある・・・・と
まで、言い切って・・・・・絶賛していた。
道徳の反対側にあると思って、今まで読んでいなかったが・・
その本質は・・・最も人間的な・・ノーブルなものであった。
実に・・・深かった!!


2005.10.13(木)
母のその後の様子
妹に電話した。24時間点滴は終了。今日の午後から
流動食(?)のようなものからでしょうか、食事がスタートするそうです。
火曜日午後に食道静脈瘤の治療を受け、昨日、今日と37度台の発熱があったらしいけれど
今日の午後には36,9度になったらしい。
でも・・・かなりきついらしく、妹に暴言をはく元気もなく、個室のベッドで
寝ているらしい。あれだけお洒落で、潔癖な、1日に何回も着替えをしていた母が
パジャマを着替えるのも大儀らしい。
火曜日に治療を受ける前は、どのパジャマにしようかと・・・何度も着替えたらしいのにね。
おしゃべり好きな母は、個室でさびしいようで、「ゆるぎそうにはやく帰りたい」と
言っているとか!また、母の病室の隣は小児科ということで
子供の入院患者さんの「おかあさ〜ん・・」と泣く声が聞こえて
それが・・つらくてイヤなのかと思ったら・・・そんな声が慰めになる・・とか!!
妹と・・・ワガママや、暴言をはけるということは・・・元気なんだね。。。
暴言やワガママ・駄々はいやだけど・・・・元気なほうがいいね!・・・と、
しんみりしながら・・・話しました。
週末にお見舞いに愛媛に帰ります。
ちょうど、西条祭りで・・・どのホテルも満室らしい。
さりとて・・・だれもいないさびしい実家で、ひとりで眠ったりはできない
なさけない・・・私です。

2005.10.15(土)〜16(日)
母に会いに、愛媛に行ってきました。
新幹線&特急と乗り継いで、昼ごろ、伊予西条に到着。
駅前でうどんを食べ、いつも泊まるホテルにキャンセルがないか
電話してみると・・・ラッキー・・・ある!!
すぐ、チェックイン。
安心して、母が入院している中央病院へ行った。
2階だった、母の個室に行くと、パジャマズボンをはいているところだった。
「どしたん、小さい子がおるのに、預けてきたん?」
いきなりめんくらった!
「もう、一番下の子もおとなになったんよ」
そんなことから・・・のどかな話がはじまり、貧血でしんどかったこと
点滴がいやだったことなどをはなしたり・・・
いつものように・・・時空をこえたとりとめのないはなし・・
8月にあったときより、さらにゆっくり、さらに・・夢のようなむかばなし・・。
おどろいたことに・・・おだやか・・かわいく・・・なっていた。
話の中心は、母の子供のころのこと、兄・姉のこと。
母が子供の頃に、そのまたお母さんの里へ行ったこと。
驚いたことに、「あんたも、いっしょに行ったよね」と言われ、
「行った・行った・・・」と、答えておいた。
女学校の話をしたとき、「女学校を卒業してから、何してたの?」と、尋ねたら、
「和裁を習いに行っていた。あのころMIEちゃんがたしか生まれていた」
MIEちゃんはわたしの妹。
引揚げて帰って、妹が生まれてから、洋裁を習いに行っていたのと、
女学校卒業後、和裁を習っていたのが・・・ごちゃごちゃになっていた。
「わたしもええとしになったわね」と言うから
「いくつになったんですか」と、きいたら
「忘れてしもうた」と答えた。
疲れたようなので、夕方、病院をあとにした。

ホテルに泊まり、翌日、徒歩で病院に向かった。
15・16日と、西条祭りで、80台ものだんじりが、街中を練って歩く。
そんな様子を楽しみながら・・・病院に行こうと思って、タクシーでなく徒歩にした。
大屋の交差点のところを、だんじりがつぎつぎやってくる。
鐘の音、太鼓の音・・・郷愁そのもの!

病院では、昨日と、同じ調子で・・母がのどかにおしゃべり。
わたしは・・あいずち・少し質問。。
母は、「実家のお墓参りに行きたい。いっしょに行こう」と言った。
父(母の夫)のお墓のことは何にも言わなかった。
やはり・・・自分の親やその里、兄や姉のことに思いをはせるようになるようだ。
ありがたいことは、「よくなったら、前にいたところへ帰りたい・・・」と、言ってくれること。
以前のように「家へ帰ろうと思うんよ・・」とは・・・言わなくなった。
夕方、病室を出て、妹に電話してもどってみると、母が横になってうとうとしていたので
「また、会いたいから、元気になってね」と言って・・・・バイバイした。
駅までタクシーに乗ろうと思って、タクシー会社に電話すると、お祭りで・・30分待ち。。
それで・・・駅まで歩いた。。
往復・・・10998歩!!
10000歩クリア・・・満足。。大満足。。。
特急&新幹線のぞみで帰って来た。
老いることを深く考えさせられた・・・二日間だった。

2005.10.20(木)
夜、妹から電話。なんだかこわくて「ちょっと待って、深呼吸するから」と
言ったら、妹が笑った。「三分かゆを食べだしたことを教えてあげようと思っただけだよ!!」
だってさ。今日は、母はやけに元気だったそうだ。おかゆと、少し、おかずを食べられるように
なったからね。
2005.10.21(金)
夕方、妹(松山)から電話があった。午後に松山に帰るので、朝、母のところへ行ったら
5ぶかゆ・・になったそうだ。
先日、母のお友達・・KIYOちゃんがお見舞いに来てくださり、
KIYOちゃんが「よくなったら、愛寿会病院に帰らないかんよ」と言ったら、
母が「愛寿会って、何?どこ?」と・・・言ったげな!!
また、妹が看護婦さんから聞いたことだけど、母は9種類の薬を飲んでいるそうです。
肝炎・胃潰瘍・アリセプト・・・ここまでは妹もおぼえていたけどあとは・・・
いろいろということらしい。
まだ・・・アリセプトを服用していたのだ。2003年の秋からだから、
もう、まる2年をこえることになる。5mgだったと思う・・・と、妹が言っていた。
このおかげで・・・時空をこえた話でも・・・おしゃべりができるのかもしれない。
普通は、このように、突然の入院ということになった場合、気持ちが萎えて
おむつになるひとが多いらしいのに、母はポータブルトイレではあるけれど
しっかり、自分でできる。
妹と話した。「すごい。気力がすごい。。我々より・・・すごい。」
2003年に妹が、母の異常に気がついて、診察を受けさせ、
アルツハイマー病と診断され、すぐに、アリセプトを飲み始めることができた・・
ということで・・・効果がすばらしかったのだと思う。
なにからなにまで・・・妹のおかげ。。
ありがとう。。。MIEちゃん!!!

2005.10.23(日)
天神ウォーキング
天気がいいので、夫と、天神に出かけた。何を買うでもなく、
繁華街をいろいろ・・うろうろ・・・。
櫛田神社や、川端通り商店街もうろうろ。
買ったものは、新天町でお抹茶だけ。
西通りに、ユニークな本屋さんがオープンしていて・・ここでもうろうろ。
帰りに、留学生会館前でバスをおり、イオンでも・・・うろうろ。
夕食の材料と、本屋さんで・・・はやりの・・・
100%天然木・・・立体パズルと思考ゲーム・・・パズルコレクション
の中から、ターンテーブルを購入。

さて・・・できるか??
夜、10時すぎに、水曜日から、出張だった次男が帰宅した。
土曜日の夜は、長男宅に寄せてもらい、長女も来てくれて
思わぬチャンスで、浦安で・・・三きょうだいが親睦をはかったらしい。。
「親にとっては・・・いちばんうれしいことだね」と、夫とふたりで喜び合った。
3才児と、まだ2ヶ月にもならない赤ちゃん・・このふたりの育児で
大変なのに、ママさんは、暖かく迎えて下さり・・・とっても嬉しいことでした。
感謝です。ひたすら感謝。
ありがとう・・・!!

2005.10.28(金)
韓国映画「私の頭の中の消しゴム」
を観て来ました。
先週の木曜日に美容院に行ったのだけれど、そのとき、担当してくださった
若い女性の美容師さんと、映画の話でもりあがり・・「・・・消しゴム」を勧められていた。
「博多五町」でバスを降り、川端通り商店街を経由して、キャナルへ行った。
この映画は10階の、スクリーン13であった。
チョン・ウソンとソン・イエジン・・・・主演。
ソン・イエジンは・・・・「四月の雪」で、ペ・ヨンジュンの相手役だった、清純な女優さん!!
このヒロインが27歳の若さで、若年性アルツハイマー病におかされ
新しいことから忘れて・・・最愛の夫をまず忘れていく・・・という悲しいストーリーだ。
最愛の夫を忘れて、昔の不倫相手をしっかり覚えていたりして。。。
いくら若年性とは言え・・・あんなに・・・速く進行するとは思えないけれど
そこは・・・フィクションだものね。
近くの席では・・・泣いている人もかなりいたけれど・・・
わたしは・・・どうも、フィクションを観ても・・・感情移入できない。
冷静に観ていた。
ちなみに・・・ネットで調べたら・・・この映画は、日本の日テレのドラマ
「PURE SOUL 君が僕を忘れても」・・・主演:緒形直人&永作博美・・・を
韓国の監督イ・ジュバンがリメイクしたのだそうですよ。
わたしは・・・観ていないのだけれど・・・・さて、どちらが・・・ステキなんでしょうか??

驚いたこと!!
2005.10.29(土)

iPod に、デジカメ写真を取り込めるなんて!!
先日、次男が出張の際、長男宅に一泊した。そのとき、デジカメでグランドサン
Rくん&Lくんの写真を撮ってくるように頼んでおいた。撮ってきてくれた。
早速、わたしのパソコンに取り込もうと頼んだら・・・
なんと、メモリースティクではなく、iPod を持ってきて、直接、わたしのパソコンに
データーを取り込んだ。・・・・うっそ〜!!アイポッドって、曲を取り込んで聴く道具じゃないの〜??
夫に聞いたら、「曲も、写真も 0と1 のデーター なんだよ」 と、教えてくれた。
すごいね。。アナログ人間は・・・腰を抜かします。
かわいい写真が、わたしのパソコンに取り込めました。


2005.10.30(日)
九州国立博物館
10.16(日)にオープンした、日本で4館目の国立博物館である
九州国立博物館に、夫と行ってきた。
天神まで西鉄バス〜天神から西鉄電車で、二日市で乗り換えて大宰府に到着。
そうなんです・・・大宰府天満宮・・・から・・・アクセストンネルを経て・・・すぐ近くに
超現代的な建築物「九州国立博物館」が建っていた。

構造体の柱がこれ!!
いちおう建築士であるから、建築として見たかった。
しかし・・・博物館だものね。入館して、展示物をしっかり見学したよ。
5時間くらいかけて・・じっくり。
人間の歴史を確認した。古代人の生活のなごりを見ると、
現在、存在する人間は・・・自然淘汰を乗り越え、弱肉強食を乗り越え・・・
すごい存在だね・・・と・・・・思わず、まわりの人々をながめてしまった。
天神まで帰り、ケーキセットでお茶してひとやすみ。
あと、ベスト電器で夫がPC周辺機器の買い物などをして、
福ビル地下の「海幸」でおいしい和食の夕食。
5,6品のお料理を楽しんだ。
帰宅したら・・もう、夜8時を過ぎていた。
DVDを見たりしていると・・・ドライブに出かけていた次男が帰宅した。
背振に行ってたらしい。あの有名な石釜で焼くパン屋さんで
高価な食パンを買ってきてくれた。1000円以上するらしい。

ちなみに、我々の大宰府のお土産は・・・
参道の「かのや」さんの・・・梅ヶ枝餅
「かのや」は、次男の大学時代の友人の実家。
やはり・・・友達の家のお店で買うのが・・・人情だよね!!


2005.11.1(火)
読書
山田詠美さんの作品を読み始めて・・・
1「、ソウル・ミュージック・ ラバーズ・オンリー」・・・・1987年97回直木賞受賞作品
解説・・村上 龍氏
2、「ジェシーの背骨」・・・解説・・小川洋子さん。
3、「トラッシュ」・・・・「ジェシーの背骨」の続編・・・女流文学賞受賞作品。
4、「ベッドタイムアイズ」・・・1985年デビュー作品・・・文藝賞受賞作品。
2の作品の解説で、小川洋子さんは
「この本を読んで、作家になろうと決心した」すごいデビュー作!!・・・
5、「ひざまずいて 足をお舐め」・・・直木賞受賞のころのことも書かれている
虚構的半自伝小説。1988.7.
6、「チューイングガム」・・・1992.10
ここまで・・・・読んだ。。すごい。。すごい。。
人のふかいところを描いている。猥雑だけれど・・・澄み切っている。
驚いた。。こんな作家がいたのですね。。
「長女が置いて行った本を残らず読もうプロジェクト」
大成功!!
先入観で、人を見ていては・・・宝ものに出会わない!!


まだまだ・・・山田詠美さんの本がいっぱい本棚にあります。。
楽しみ&楽しみ

新手口詐欺にまきこまれそうになりました。
住所が東京の**弁護士事務所から、私宛に、ハガキがきた。
「以前、あなたが通販を利用したとき、通販会社の督促にも
従わないので、通販会社の依頼により、裁判所に提訴した。
裁判をとりさげてほしいならば、電話せよ」という内容。
通販会社名、買った品物、料金、購入年月日・・・などは・・・記載ナシ!!
もちろん、そんな事実はない。最近では、10月にショップチャンネルで
洗濯機除菌の「菌さんまいった」を代金引換で購入しただけ。
それで、ショップチャンネルに電話したら・・・「典型的な詐欺の手口です。
絶対、電話などしないように。警察にとどけてください」ということだった。
また、「ショップチャンネルは、個人情報をもらすことはないし
支払い云々で弁護士に依頼などしない。」とも、言い切った。
104で、ハガキに書かれていた、弁護士事務所の住所で
電話番号を調べてもらったら・・
「その住所に弁護士事務所は、ありません・・」だった。。。当然だよね。。。
いくら、身に覚えがないことでも、提訴とか、出廷とか書かれると
ドキッとするもので・・・数日は、相当、気分が悪かった。
わたしのばあいは、夫と、次男が、冷静に・・「そりゃ、詐欺だ!」と
すぐに見破ってくれたから・・・おおごとにはならなかったけれど
1人暮らしの人は・・・ひっかかるかもしれない。
変な、電話や、郵便物がきたときは・・・あわてないように!!
つくずく・・・思った。
それにしても、住所と名前・・・個人情報が漏れていることには
怒りを感じる。恐怖をおぼえる。
通販、TVショッピングが大好きなのに・・・怖くて、
欲しい物があっても・・・利用できなくなってしまった。
それも・・・なんだか・・・くやしい!!

2005.11.4(金)
今日は、邦画「春の雪」
韓国映画は「四月の雪」。。。日本映画は「春の雪」
ソラリアシネマでは両方が上映中。
「四月の雪」はすでに観賞ズミ。
10.29から公開された・・・「春の雪」。。今日はこれを観て来た!!
三島由紀夫の作品の映画化。
監督は・・・・行定勲監督。
主演は・・・妻夫木聡&竹内結子
主題歌・・・宇多田ヒカル
大正時代の貴族の恋。。セットと、ヒロインの衣装が美しかった。
「四月の雪」も「春の雪」も・・・若者の恋の、お話。。
切ない恋・・・なんてものは、青春時代真っ只中の・・キラキラ輝く思い出だね。
大変な思いでいっしょになって・・・熟年になると・・・。。
昨日の祝日は、買い物以外は、終日、家でうろうろしていた。
今日も在宅だと・・・TVを見て、おかしを食べて・・・結果、自己嫌悪。。と
なるのが目に見えていた。
だから・・・元気に・・・・天神ソラリアビルに出かけた。。
行って・・・ほんと・・・よかったよん!!

2005.11.7(月)
山田詠美さんの本、「フリーク・ショウ」・・・黒人男性とのメイクラブ集。
そして、「放課後の音符」・・・解説で氷室冴子サンが・・・一番ゴージャスな少女小説と
評していた。今まで読んだ、猥雑だけれど澄み切ったメイクラブとは・・・全くの別物。
そして・・・今日、読んだ「晩年の子供」・・・これは、山田詠美さんをつくりあげた
子供のころの経験集短篇集。。これがおもしろい。。実におもしろい。。
このような感性を持った子供が成長して山田詠美サンになったのだ。
これは実にいい!!

これで・・・我が家に存在する「山田詠美」作品を全て読了した。
私の本棚を見てみると、長女が置いて行った(江戸の大学院に行って、
江戸の大企業に就職した)本で、大量にあるのは「椎名誠」さんの本。。。ざっと
数えても20冊を超える文庫本。わたしは、椎名誠さんの本は読んだことなし。。
長女にメールしてみた「椎名誠さんの印象は?」
返事メール「あまりなにも考えたくないときに読んでたから、、、そういうときにとっとけば?」
ということだった。
ならば・・・・いよいよ・・・ハードカバーにとりかかるか!!
これがすごいものが多い!!
いろいろなジャンルの、いろんな作者の単行本!!

2005.11.9(水)
母の病状。妹と電話で。。
先週の血液検査で、ヘモグロビンの数値が、正常の半分だった。
それで、またまた胃カメラ検査。。血管が薄くなっていて、出血?
また、血便もあり。これは・・輸血で適宜・・・補うしかないらしい。
土曜日に輸血した。
妹の予測・・・・「おそらく、このまま・・・中央病院を出ることはないだろう。
姉ちゃん、覚悟して、いろいろ準備しておくべし。。。
と言いながら・・・何年も・・・かもしれないけどね」
「我々こそ・・・元気にしておかねばよ・・・」と・・・ふたりで激励しあった。
妹によると、先週、1ヶ月ぶりに入浴したらしい。それで、入浴介護して
下さったスタッフに母は、手をあわせて感謝したとか!!
ふらふらしながらでも、老人車を押して、トイレに行きだしたとか!!
ポータブルトイレの処理をしてもらうのが、申し訳ないらしい。
えらいおだやかに・まるくなったものだ!!
と・・・感動していた。。。
ところが・・
母は、小児科の空いている個室(南向き・・ながめがいい)に入院させてもらっていたのだが、
日曜日に、子供の入院があり、
別の老人用二人部屋を個室利用(北側・・ながめが悪い)に移動することになった。
そこからのながめが悪いとか、むこうの病棟からのぞかれるとか・・・
要するに、移りたくなくて、あの非常に不機嫌な、わたしでも震え上がる怖い顔で
看護婦さんたちを恐怖におとしいれたとか。
月曜日に妹が松山から帰って来て、病院に行ったときも、とにかく機嫌が悪くて
怖かった・・と言っていた。「子供が病気で入院してきて、かわいそうでしょ。
よくなって、幼稚園や学校に行かせてあげないと。。それまでがまんしてよ」と
説得したけれど・・・理解できなくて・・・スタッフを困らせていたらしい。
そして、今日、病院に行ったら、南むきの個室にまたまた移動していた。
ただし・・・子供の入院があるまで。。ということで、その日、個室に空が出て
看護婦さんが・・・しかたなく・・・・だったらしい。
こうして、希望がかなうと・・・おちついてきて・・・・しきりに反省しているとか!!
そして・・・「ず〜〜と、ここに居たい」と・・・上機嫌!!
月曜日に、10月分の請求がきて、15万円ほどだったらしい。
母が心配するといけないので、「1000円だった」と言ったら、喜んでいたらしい。
「ずっと、ここに居れるね」と。。
1000円で1ヶ月入院できるはずないのに。。
妹の夫が「せめて、10000円くらいだと言えば・・」と、言ったので、
今日、妹が「10000円だった」と、言ったけれど、
10000円と、1000円の差が???で、反応がなかったらしいよ。

2005.11.10(木)
邦楽もいいもんだ!!
月曜日に、徳永英明の「VOCALIST」と、浜田省吾のベストアルバムのCDを買った。
それまでは、洗濯ものを干すとき・・・「AMAZING GRACE」HAYLEY WESTENRA
掃除をする元気を出すため・・・「MANMA MIA」
こころを落ち着けたいとき・・・ENYA・・・BACH・・・。
を、愛用していた。
月曜日からは・・・徳永英明&浜田省吾・・・・ずっと流れている!!

そして、晩秋の夕方、窓をしめきるから当然静か!!
子育てを終えた女性が、一日のなかで、もっとも・・・メランコリーになる瞬間!
そのような、ほっておいても涙がでる状況で、徳永英明が歌う女性ボーカリスト
カバー曲をきくのだから・・・たまりません。。もう・・胸がしめつけられ、すでに鼻が赤い。
でも・でも・・・聴いては・・・涙ぐむ・・・けど、けど・・・いいものはいい・・・だから聴く。
徳永英明は、長女が中学生の頃、大好きでよく聴いていた。
こんな、さびしい秋の夕方、娘は、いったい何をしているのだろう?
とは言え、秋の夕方のメランコリーは、長男が就職で上京し、長女が
進学で上京してからの症状だ。
仕事をこなしながら、三人の子育てをし、旺盛な食欲を満たせる夕食の準備を
していたころは・・・ただ・・・喧騒のみだった。
同年輩のルネ友達に聞いてみると・・「同感!!」
みんな・・・おなじらしい。
だから・・・毎晩、晩酌・・・ということになるらしい。
ご主人がお酒を飲まない友人とて、晩酌する人までいた。
今夜も、夕食の準備を終え,次男は残業で、深夜帰宅予定,
夫も、まだ帰宅せず・・・・徳永英明を聴きながら・・・キーボードに向かっています。
ちなみに・・・カバー曲は・・・
1、時代
2、ハナミズキ
3、駅
4、異邦人
5、シルエット・ロマンス
6、LOVE LOVE LOVE
7、秋桜
8、涙そうそう
9、オリビアを聴きながら
10、ダンスはうまく踊れない
11、会いたい
12、翼をください
13、卒業写真
浜田省吾のCDは・・・・encourage///

2005.11.11(金)
ザルツブルガーゲシェンク
スタジオカノン作品展
「100のリースの物語」
昨日、ルネ・エアロ友達SATOさんから、ご案内状をいただいたので
アクロス福岡2F/「アクロス福岡交流ギャラリー」に行ってきた。
土砂ぶりの雨で、なかなか決心がつかなかったけれど、今日までだし、
だれも、なんにも誘ってくれない日々の生活では、貴重なお誘いだったから。。
「木の実とスパイスのクラフト」・・教室の、82人の生徒さんの作品と、
18人の卒業生&西京子先生の作品が展示されていた。
SATOさんは、卒業生のおひとりだった。先生と卒業生は、「クロスターアルバイテン」の
手工芸品を展示されていた。純金を使った美しい豪華な作品だった。
見学にこられているかたたち、作品を展示されている方たち、
100%のおしゃれをしてこられていた。
やはり、ブランドもののお洋服と、ハイヒールの世界だった。
反省した。場違いなわたしだった。。カジュアルすぎた私だった。
SATOさんも、いらしてて、ルネ香椎では見たこと無い・・・貴婦人スタイルだった。
なんだか、傷ついて、とっとと、バスに乗り、留学生会館前で降り、
今週2回目だけれど、プリペイドカードの期限が今日までだったので
イオンの「LA.VEILLE」に行った。
大好きな、ハンドマッサージ40分。
癒された。。復活した。。
教訓を忘れていた・・・「人と比較するべからず。」だったのね。。

今日は、長男のお嫁ちゃまKYOKOちゃんと、くりかえしメール交換した。
仕事を中断して、今は、3歳児と0歳児のふたりの男の子の子育てで
がんばっている。
晩秋のメランコリーで、悲壮になっていたけれど、けなげなKYOKOちゃんからの
メールで・・・われにかえった。。。
わたしには、見守ってあげなきゃいけない若い人々が・・・4人、
そして、おさないグランドサンがふたりもいたのだ。
そして・・・ぎゃくに・・・みんなから・・・見守られていたのだ・・・と。
KYOKOちゃん、メールにつきあってくださって、ほんとうにありがとう。

2005.11.15(火)
妹から緊急電話・・・母の病状
「輸血しても、貧血を繰り返すのでまたまた検査した結果、
胃の出口あたりの毛細血管からの出血だと判断し、
その治療は、村上病院でないとできないので、
中央病院の医師がすでに手配してくれていて、明日、転院することになったよ」
まあ、結論はそのような内容。どんなスケジュールになるかは
わからないけれど、長期に村上病院に入院ということでなく、
出血が改善されれば、中央病院にもどる段取りらしい。
昨夜、長女と電話ではなしをして、12月10日、11日の東京女子医科大学
記念講堂での、「キャトル・リーフ」の公演を見に行く一人旅を決めた翌朝に
受けた妹からの電話だった。
12月10日ころ、母が元気になっていたら・・・上京が実現し、
ミュージカル観劇のみならず・・・・Rくん・Lくんにも会えるのだが・・・。
わたしのワガママかもしれない。
妹は、13(日)14(月)と、神戸の長男のところのあかちゃんに
会いに行ってきた。愛媛にかえってきて、しばらくして、中央病院から電話が
あり、明日来てくれ・・・ということで、前述の話をされたとのこと。
ほんと・・・気が抜けないよね。
痴呆も進みつつある母が、小さくなったからだを丸くして
ベッドに横たわる姿が目に浮かび、胸がつまる。
だれでも老いるわけだけれど・・・やがて行く道であるわけだけれど、
老いることはつらい。

2005.11.16(水)
ずっと、携帯をGパンのポケットに入れて、過ごした一日だった。
夕方、妹から電話があった。
無事、村上病院に転院したということだった。
村上病院は、30年前、父が入院していて、そして他界した病院。
ということで、妹は30年ぶりに行ったわけだけれど
「びっくりするほど・・・りっぱな大病院になっていた」と言っていた。
母は、ちゃんと、すばらしい個室に入院できた。
トイレがついている個室はあきがないので、空き次第、移れるように
予約しておいたよ・・・と、言っていた。。。。妹は、ほんとしっかりしている。
それで、胃の毛細血管をやく治療は、金曜日に1回目があるらしい。
やってみないとわからないけれど、ふつうは、何回かにわけてやるらしい。
母を車で連れて行き、荷物をとりに引き返し・・・妹は、今回も
ひとりで、転院をやりとげた。さすがに疲れたので
お惣菜を買って来たと、言っていた。
村上病院は、西条駅のすぐ近く。妹の仮住まいマンションや、
母の家(妹とわたしの実家)からも・・・すぐのところにある。
妹が「帰るけんね」と、言ったら、母が「もう、帰るん??」と
さびしそうだったらしい。でも、身体は弱っているのに、しゃべりぱなしだったから
やすませなきゃ・・と、妹は後ろ髪をひかれながら・・・帰宅したらしい。
昨日は、大腸がんの検査をしたし・・OKだった・・・
かなりつかれているのに・・・おくちは達者な母なのでした。
多分、いまごろはもう・・眠っていることでしょう。
よくねむれるお薬もいただいているらしいから。。

2005.11.17(木)
ついに・・・FOMAに機種変更・・・実現!!

FOMA P701iD
角がカクイのとマルイの・・・そしてカラーはそれぞれ、ブラック・ピンク・ホワイト がある。
長男のおよめちゃまKYOKOちゃんは、ホワイトのマルにしたから、
区別するためにピンクのマルを希望したけれど・・・・
超人気でDoCoMoショップ香椎店の在庫は・・・ホワイトのカクイのしかなかった。
ということで・・・決定!!・・・なりゆきのようではあるけれど、大好きなフォルム!!
大満足!!
DoCoMoショップの方は、美人で、親切で、聡明で・・なんだかうれしくなった。
このごろの若いもんは、ほんとうに、しっかりしている!!
ややこしい、事務的なことをテキパキこなし、感じがよかった。
使い方の説明もしてくださるということだったけれど、夕方に
なってしまったので、明日にでも・・・ということで帰宅した。
「着信アリ」の表示がでているので、あちこちさがしてやっと履歴をみつけ
妹からとわかり、リダイヤル。
母の様子を教えてくれた。おちついてきているようだ。
「メールアリ」の表示が出ていた。メールはすぐに見つかった。
KYOKOちゃんからだった。返信をしようとしたが、いままでのとは
やりかたがカンペキちがってうまくいかない。
それで、電話して・・・P701iDを買ったことを伝えた。
Rくん・Lくんが寝た頃にでも、電話して、わからないところを教えてもらえたらありがたいが、
マニュアルをなんとか読みこなして・・・理解する努力はしてみるか??
頭の刺激にはなるけれど・・・肩がこってきた。
なんとか・・・なるのであろうか??
ちょこっと・・・不安!!
そして・・・3日目・・・11.19(土)
マニュアルに付箋を貼り、ノートにポイントをメモし、試行錯誤するうちに
いろいろな設定ができ、メールや、カメラ、写真の保存、メールに添付・・・
いろいろわかってきた。メモリーカードのあたりがわからないので
KYOKOちゃんに電話して、教えてもらい・・・OK・OK!!
さっそく、KYOKOちゃんから、かわいいグランドサンたちのムーヴィーが
送られてきて、メモリーに保存。何度も、何度も再生して・・夫と喜んで見ている。
すごいよね。写真だけじゃなく、動画まで添付できるのだから!!
「i モーション」・・・・・すてきです!!
マニュアルを見始めた頃は「なんでこんなにわかりにくく、書いてあるのだろう??」
と、頭をかかえていたのに、、、わかってくると・・・
「偉いなあ、こんなに、すべてのことを説明しているなんて。マニュアルを書いた人は
すごいなあ!!」なんて・・・捉え方が変化してきた。
マニュアルは、わかりだしてから読むと・・・「なるほど〜〜」と、思えるようになるもののようだ。
まだまだ・・・基本しか、理解できてないので・・・さらに、さらに
広く、深く・・・使いこなせるように・・・極めてやる!!

2005.11.21(月)
山田詠美さんの文庫本がもう1冊見つかった。
それは
「風葬の教室」

教師に好意をもたれたがゆえに、教室の中でいけにえとなっていく
転校生(小学5年)の少女。教室を支配する宗教と化した、いじめの中で
少女に兆した”死”の想いを描いた作品。
遺書を書きながら、聞こえてきた、母と姉の会話を聞き、
姉もいじめられていたけれど、克服したという話に
われに返り「私が死ぬことないんだわ。」と、たちむかっていくはなし。
子供社会の残酷さに驚愕しながらも・・・この克服方法・・・ちょっと書きにくいが・・
これは、大人も使えるぜ!!
いじめられて、自分がなぜ死ななきゃいけないのだ・・・と、冷静になろう。
あなたが、死んでしまったら、のどかに暮らしている両親や、兄弟がどんなに
悲しむか・・・いじめるやつのせいで・・・そんなめにあわせるなんて・・・わりがあわないよ!!
ルネ西新の往復で、のめりこんで読破した。
山田詠美さんの、子供のころのことを書いた作品は実にすばらしい。
大好きです。

長男のところは、3才と、まだ3ヶ月にもならない・・・ふたりの男の子がいる。
ママのKYOKOちゃんは、絵日記育児日記を書いている。
イラストがとってもうまくて、わたしは出版したいと思うくらい上手!!
わたしの、育児日記もたくさんあるが、1冊紛失していて、とても残念に思って
いたのだけれど、ちょっと、さがしものをしていたら、夫の膨大なノートの間に
「見つけた!!見つかった!!」
1973.4.20〜8.2の間の長男の保育園の連絡&育児ノート。
その中に、20代で大手ゼネコンの設計部で働く私の写真が貼ってあった。
わ〜〜なつかしい!!これです!!

真剣に、製図しております。胸のポケットには、小型の計算尺。
ライトになにやらぶらさげて若いなあ!!
けっこう、真剣に仕事しているじゃない!!
同じ課の人が、撮ってくださったのね。
仕事中の写真は、少ないので・・・貴重です。
わたしも、ずっと・・おばちゃんであったわけじゃないんだよ。
こんな若いころがあったのよん!!

2005.11.23(水・祝日)
目を覚ました時、すでに9時だった。
「9時間も眠れるなんて、私、若いじゃん!!」
遠出はできないので、今日は大宰府の観世音寺&光明禅寺の紅葉を
見に行くことに決定。のんびり朝食をすませて出発。
バスで天神へ。天神から西鉄電車で大宰府へと、近場の旅を楽しむ。
大宰府に到着して、すぐに、レンタルチャリを借りて・・・出発。
コースは、観世音寺〜〜戒壇院〜〜大宰府行政府跡〜〜国分瓦窯跡〜
筑前国分寺跡〜〜水城跡〜〜光明禅寺

美しい紅葉と、歴史探訪サイクリングだった。
そして、駅でチャリを返却。天満宮の参道を楽しみ、大正ロマンの喫茶でお茶(もち、ケーキセット)
電車で天神にもどり、警固公園のクリスマスイルミネーションを楽しみ、
ソラリアホテル17階のレストランで夕食。
ひさしぶりにおいしいステーキをいただき感激!!
バスで帰宅したら、長男から送られてきた、ビデオをDVD化した映像を
見て、かわいいグランドサンたちや、いとおしい長男夫婦の姿に
大笑いしたり、画面にむかって話しかけたり、、、
ほんと・・・楽しい祝日だった。
みなさんに感謝です。ありがとう。

2005.11.25(金)
母の病状
愛媛の母は、胃の出口あたりの毛細血管がうすくなって出血して貧血ということが
わかって、11.16日(水)に、その治療ができる村上病院に転院した。
1回目の治療・・・11.18(金)
2回目・・・今日、11,25(金)
無事終わった。
治療の時間は10分くらいらしいけれど、負担はかなりあって、胃の不快感もあり
終わってからも、気分が悪いらしい。先週も翌日はすこしは元気になったみたいだから
今夜は、がまんするしかないのね。
それで、妹と話したのだけれど、いろいろなことで、全身の血管がもろくなっているとしたら、
やはり、出血、貧血を放置するわけにもいかないだろうから、輸血で間に合わないときは
このような、血管対策の治療が続くのだろうけれど・・・それも・・・かわいそうね・・・
いったい、母はどうされるのがいちばんしあわせなんだろうか?・・と。
とくに、自分で理解して、判断できない状況では、誰がきめるのだろう?
やはり・・・医師なんだろうか???
いろいろ考えていたら・・・金曜日の夜、ねむれなくなってしまい
「ドリエル」を飲んでようやく眠りについた。眠りに入りながら
「明日、西条に行こう」と・・・思いつつ。
そして
2005.11.26(土)
とっとと起きて・・・夫と次男に「西条に行ってくるから、あとはよろしく」と
8時過ぎの新幹線「のぞみ」に乗り・・・岡山経由で、愛媛・伊予西条へ行った。
駅前のホテルにチェックイン。
妹に知らせようと携帯に電話すると「電源がきられております」。
それで、多分、病室にいるのだろうと・・・早速、村上記念病院に行った。
駅から見えるくらい近い。病室を教えてもらって・・・母の病室へ行った。
「どうしたん!来てくれたん」と、びっくり!「MIEちゃんは今帰ったとこよ・・・!」
携帯をかけられる場所に行ったとき、妹から電話。
「電話くれたみたいね」
「今、村上病院にいるよ」
「え〜〜・・・今、駐車場だから、上がるね」
ということで、妹も病室に来て・・・女三人の再会。
母は、点滴しながら、ベッドに横になり・・・会話に参加。
ひとしきり話したら、母が「ふたりでお昼ご飯たべてこんかい」というので
妹とふたりで、近くのレストランでランチ。
妹と、母のことだけじゃなく、おんなどうしの楽しいおしゃべり!
ランチを終えて、妹は、いちど、自宅(西条のマンション)に戻り・・・
松山のほんとうの家に帰って行った。
わたしは、母の病室にもどり・・・いつもの・・・時空をこえたおしゃべり。
やはり、昨日、治療をしたばかりなので、うとうとすることも多く
しゃべりながら、眠ってしまうと、そっと、病室を出て、ロビーで雑誌などを読み
また、病室にもどると、起きていて・・・また・・・おしゃべりみたいな感じですごした。
母は、すごい気力なんです。なにか手伝おうとすると、「自分でするから手伝わないで」
と、時間はかかるけれど、自分でする。
病室の前が、ひとり用のひろ〜いトイレになっていて、点滴しながらでも
ゆっくりゆっくり自分でやりとげる。ベッドに帰って、ふとんを着せようとすると
「自分でしょうわいね」と、いっさい、手伝わせない。
そのうち、点滴が終わって・・・動きやすくなり・・・喜んでいた。
夕方になり、眠そうなので・・・ホテルに帰った。
夕食は、コンビ二で買った、おにぎり&ごぼうさらだ&温泉たまご&バナナ
あと、ホテルの煎茶はまずいので、リプトンの紅茶も買ってきて・・・紅茶を楽しんだ。
しかし・・・わびしい&さびしい・・・長女はひとりで海外旅行によく行くけれど
さびしくないのだろうか?
夫に様子を知らせようと電話していたら・・・なんだか・・・涙がでてきた。
夫は「ひとりたびを楽しめばいいのに」というけれど・・・。
ほんと、わたしは自立していない。なさけないなあ!!
どうにか、眠れて、翌朝、ホテルで朝食をすませ、母の病室に行った。
きのうとおなじようなかんじですごした。
母のランチがきた。・・・・米粒のないおもゆ&ぐのないすーぷ&ジュースのようなもの
食事も自分でおきて、ベッドの上のテーブルをよせ、「ああおいしい!」と
言いながら・・・完食!
終わると、自分で、スプーンを洗い・・・トイレもすまして・・・ベッドにもどる。
全部じぶんでする。
「できることはしないと、寝たきりになるけんね!!」と。。。すごいなあ!!
すごい気力だ。
おみやげ・・ゆきうさぎのマスコット!!枕元においた。
「かわいい。これでさびしくない」と、母が喜んだ!!
おかしの「ゆきうさぎ」は妹にあげた。母は食べられないので。
昨日より、声も顔色も動作もずっと元気になった。頭も昨日より、すっきりしたようだった。
このように、どんどん元気になってほんと安心した。昨日は、ほとんど横になっていたけれど
今日は、短時間だけれど、ベッドにすわっておしゃべりしたりした。
中央病院〜〜愛寿会病院〜〜愛寿会ゆるぎそう〜〜中央病院〜〜村上病院
このように転院の連続で、母は、今どこにいるのかわからなくなっている。
そして、記憶にのこっているのは、中央病院だけで、
「中央病院のいい個室に入れてもらえて・・・うれしい」と、思っている。
「MIEちゃんが、車で、ここ、村上病院につれてきてくれたこと覚えている?」と
聞いたら・・・「全然、覚えてない」
でも、今日、「ここは村上病院よ」と言うと、「ああ、ちいねえさんが入院していたねえ。
村上病院、駅に近いよね」と・・・思い出した。しかし、30年前に父も入院していて
ここで亡くなったのに、そのことはいっさい言わなかった。
今回のおしゃべりの中心は、やはり、母の兄、姉のこと、母の母の実家のこと。
女学校のこと・・・だった。
「わたしに、子供が三人いること覚えている?」
「二年前に皆が来てくれて、長男Tの子供R君が来て可愛かったの覚えている?」
「今年の春に、長女Rがお見舞いにきてくれたこと覚えている?」と
だめもとで聞いてみたけれど・・・・なにも覚えていない。
孫の顔は・・・・忘れた!!・・・・・だった。。。
母の今の最大の関心事は・・・設備のすばらしいトイレを使いこなせること!!・・・だった。
看護婦さんは、「こけたらあぶないので、トイレに行くときはインターホンで知らせてね」と
おっしゃるのだけれど
「看護婦さんは忙しいのだから、呼ばなくていい」と、ひとりでがんばる。
でも、点滴に来られた看護婦さんは「この前、しりもちついて、たんこぶできたんですよ」と
おっしゃっていた。
でも・・・ひとりでトイレができることが、喜びなら・・・尊重するほうがいいのかも!!
このようにしてすごし、最後に握手して「また会いに来るけん、元気になってね」と激励して
16:17発の特急で西条をあとにし、岡山で「のぞみ」に乗り換え
博多に帰ってきた。四国の特急も、新幹線も満員だった。旅行する人の多さに驚いた。
帰宅したら、夫と次男が優しくむかえてくれた。
デジカメで母の写真や、動画を撮ってきた。早速、パソコンに取り込んで、
みんなで見た。気力のすごさに、夫と次男も、驚いていた。
2005.11.30(水)
妹から電話
12,2(金)に、またまた胃カメラで、治癒状態を調べるげな!!
一体、何度、胃カメラを飲めばいいのだろう。またまた・・・母が疲労困憊する。
まあ、仕方ないか//
米粒が入ったおかゆや、おとうふ、とりにく、サラダまでついた食事に
なったみたいだけれど、母は、のどごしのいいもの以外は残すらしい。
生野菜は、以前から、機嫌を損ねるメニューだった。
もそもそして飲み込みにくいらしい。ゆるぎそうにいたころは
「わたしを殺す気か」と、食事の係りの方に暴言をはいていたりした。
このような病人には、くたくた煮たメニューのほうがいいようにも思えるのだけれど。。。
点滴は、午前中1本になり、老人車をおして、院内をひとりでお散歩しては
迷子になり、看護婦さんに、病室に連れて行ってもらっているそうだ。
よかった!!散歩する元気がでてきたんだものね。
先日、西条で・・・
妹と、私が、「孫がお見舞いに行くと言っているけど、どうする?」と、母に聞いたら、
「来んでいい。忘れた!。。来たら疲れる。。」と、答えた。
妹と、話したのだけれど・・・・妹と、私が・・・時空をこえた話を
あいずちをうちながら、きいてあげているときが・・・母は、いちばんうれしそう。
だから・・わたしが、これからは、もっともっと話を聞かせてもらいに
行こうと思っている。
母の思い出ばなし(母の兄姉のこと・母の母のこと・母の母の実家のこと・・・)に
あいづちをうちながら、関心を示しながら聞いてあげられるのは・・・妹と私だけだから。
しかし、残念ながら、父&母&妹&私・・・の、四人家族の暮らしの思い出話はでてこない。
母がこどもの頃に訪れた、母の母の実家で、あととりであるおじさんと
そのよめさんが優しかった・・・なぜか・・・この話を、何度もくりかえす。
母の母の実家が、大きい農家だったことが・・・今の母の最大のプライドになっているのだ。
人間は・・・最後まで・・・虚栄心があるのだろうか??
わたしが、そういう状況になったとき・・・何を自慢するのだろう?
なんか・・・そらおそろしい!!

2005.12.2(金)
今日は、母が胃カメラで、治癒状況を調べる日だった。
妹から、いつ電話があるかわからないので・・終日在宅。
夕方、電話があった。
「毛細血管の今回の治療は終了。。ただし・・・あくまでも、現状で。」
問題が出てきた。
「中央病院で食道静脈瘤の治療をうけたのだけれど、
まだ静脈瘤があり、村上病院の方法で治療すれば・・・うんと改善する」と
医師に言われたとか。
しかし、その方法は、発熱をともなったり、危険性もあるとか。
また、医師は
「このままでほっておくと、問題がおきないかもしれないし、はれつするかもしれない。
どちらとも言えない」と言ったらしい。
家族で結論を出せ・・・ということだ。
妹夫婦も、我々も・・・もう、苦痛を与えたくない・・・と
つい、思ってしまう。
しかし・・・わからないよね。
妹と、話し合って、2,3日考えることにした。
毛細血管治療のために村上病院に転院したので
中央病院に戻る日が・・・・またまた・・・・やってくる。
まだ・・・何も言われてないけれどね。
いったい、何度、転院すればいいのだろう?
母でなくても・・・・どこに入院しているのか・・・わからなくなりそう!!

2005.12.3(土)
最期の願い
ルネ香椎のプールには、ご高齢のかたがたが、来られていて
ウォーキング(水中)をされている。腰痛などのリハビリはもちろん
体力を維持するために。
今日、わたしがプールで泳いだあと、ウォーキングコースで、
84歳のご婦人とふたりで歩くことになった。
少し、おしゃべりをしながら・・・ゆっくり歩かれる。
「お元気ですねえ。うらやましいです。100歳も夢じゃないですね」と
申し上げると・・・
「そんなには、いらないけれど、最期まで、ひとりで、じぶんでトイレに
行きたいから・・・。」と、おっしゃった。
その方は、マンションでひとりぐらしだけれど、さびしくなんかなくて、
自分でおかいものして、好きな献立でお料理して、美味しく食べて、
洋裁や、和裁、習字をして・・・プールで歩いて
それは・それは・・・・楽しい・・・・・とおっしゃる。
そのようなことも、やがてできなくなるときがくるだろうけれど・・・
最期まで・・・ひとりで、トイレに行く・・・これだけは願い!!
そんなふうにおっしゃる。
そうだったんだね。愛媛の母は病気で入院していて、テレビに集中できないし
本も読めない。おしゃべりと・・・食事が楽しみで、
そして、そして・・・ひとりでトイレにいくことが大きい仕事だし、
絶対、やりとげたいことだったんだね!
先日、母のところへ行ったとき「あんたのところ、トイレある?」と、聞かれた。
「あるよ」と答えたら・・・安心したようだった。喜んでくれた。
人としての、最後の、最期の・・・最大の・・・尊厳なのですね。

2005.12.4(日)
数のおもしろさ

友愛数・・・220と284は友愛数
220の約数の和は284
284の約数の和は220
すごい・・・ロマンチック
220:1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284
284:1+2+4+71+142=220
1184と1210も・・・友愛数

完全数・・・約数をたすとその数になる
6=1+2+3=6
28=1+2+4+7+14=28
完全数・・・6 28 496 8128 33550336 8589869056
完全数以外は、約数の和がその数より大きくなる・・・過剰数
約数の和がその数より小さくなる・・・・・・不足数
1だけ小さい不足数は・・・いくらでもある。
1だけ大きい過剰数は、1つも存在しない。
誰も見つけられずにいる。
18は・・・1+2+3+6+9=21・・・過剰数
14は・・・1+2+7=10・・・・不足数
完全数は、連続した自然数の和で表すことができる
6=1+2+3=6
28=1+2+3+4+5+6+7=28
496=1+2+3+4+5+6+7+8+9+10+11+12+13+14+15+16+17+18+19
+20+21+22+23+24+25+26+27+28+29+30+31=496
ルース・アーロン・ペア
714の素因数の和と、715の素因数の和は等しい
714の素因数・・・714=2×3×7×17・・・・2+3+7+17=29
715の素因数・・・715=5×11×13・・・・・5+11+13=29
こんな性質を持つ連続する整数のペアは20000以下には・・・26組しかない。

パソコンのキーボードに 「×」の記号が無いのに気がついた。
そう言えば「÷」も無い。
困って、夫に質問したら・・「そうなんだよね。無いんだよね。」
「かける」や「わる」と入力して、変換すればいいよ・・・・・・うあ^^!!すごい!!
かける×・・わる÷・・・変換できた!!
それにしても・・・どうして、つけなかったのだろう?
そのことのほうが・・・不思議だわ!!



小川洋子著の「博士の愛した数式」に登場した・・・数のおもしろいできごと!!
わたしは・・・もういちど数の勉強をしてみたくなりつつある。。

付箋を貼り付けながら読んだ。そして、「数の世界」の、おもしろさにのめりこみました。
ストーリーも、ロマンチックで・・・なかなかのもの!
小川洋子さんは、山田詠美さんの作品で「子供に対する愛」「子供の本質」などに
感動し、かなり影響されているのではないか??
そのようなことも感じた。

2005.12.10(土)〜12.11(日)
3ヶ月ぶりに上京してきました。
大きな目的
1・・・「キャトルリーフの公演を観る」
2・・・グランドサンRくん&Lくんに会う
どちらも・・・・実現できました。大満足!!


多忙な仕事に就いている若い方たち(長女も)が、練習をかさねて
病院や養護学校、老人ホームなどで、ミュージカル公演を行われている。
ボランティア団体「キャトル・リーフ」
今回は、東京女子医科大弥生記念講堂で公演がおこなわれた。
オリジナルミュージカル「正太と願い石」
ストーリーもわかりやすく、訴えたいこともわかりやすく
手話もしっかり取り入れ、曲もすてきで、ダンスもすてきで
感激しました。
公演終了後、出口で、キャトルのメンバーが、勢ぞろい!!
もちろん、わが長女にも、感激の再会!!
お名前だけは存じ上げていた方々に、ご挨拶できたし
ほんと・・・福岡から、がんばって来た甲斐があった!!
また、チャンスがあったら・・・来たいものです。
羽田まで、長男一家が車でむかえにきてくれて・・・長男一家も観劇してくれました。
3才のRくんも、しっかり観れましたよ。
3ヶ月のLくんも観たんだよね。
その夜は、長女も長男宅で一緒に、夕食を楽しめて
母としては・・・なによりの喜びでした。
翌日、日曜日は、グランドサンとたわむれ、ララポート(船橋)にでかけ
トイザラスでおもちゃを買ってプレゼント。
羽田まで、またまた車で送ってもらって・・無事帰宅。
今回は、ひとりたびでした。
春休みには・・・夫と・・・・またまた・・・・行きますよ!!

「わたしは・・・強運の持ち主だった!!」
キャトルリーフの東京女子医大での公演を楽しんで、長男の車で
浦安の長男宅に向かった。途中でお持ち帰りの寿司を買い、
長男が、左のドア(スライド式)をあけて、後部席(三列の)に、寿司を置いた。
わたしは、二列めの左に座っていた。
やっと、マンションにたどりついた。降りようとすると・・・私の、大事な・大事な
BAGが無い。財布にはお金と各種カード。携帯やら、KEYやら、手帳やら
帰りの航空券も入れてある。どこを探しても無い。
でも、車中でバッグから携帯をだして、福岡の夫に電話したから
公演の会場に忘れたはずはなし・・!!
頭の中を・・・「カードを停止。お金は子供に借りて・・・でもでも・・・どうしよう。
夢ならいいのに、夢なら醒めて・・・」クルクル・クルクル!!
と、
長男が、「寿司やの駐車場でドアを開けたとき、落ちたかも」と
寿司やにпE・・!!
「ありますよ。とどいてますよ」
「うっそ〜〜!!きゃ〜〜よかった〜〜」もう・・・涙声。
早速、取りに行く・・・途中「BAGはあっても、財布は無いかもしれない」と
またまた・・・不安???
しかし・・・しかし・・・
かけつけると・・・・あったのです。財布の中も異常なく・・・BAGがあったのです。
届けてくださったかたにお礼をしたかったのだけれど
もう、帰られたあとでした。
シートから車の床に落ちていたのが・・・さらにドアをあけたとき
車外に落ちたことのようだった。
車に轢かれたみたいで、めがねケースがひしゃげ、つげの櫛の歯がこわれていた。
BAGの内部の布がやぶれていたけれど・・・携帯は無事だった・・・・これは「奇跡!!」
教訓
「旅行中は、だいじなものを入れたBAGは絶対身につけておくべし」

サイコウに運が悪い状況から
サイコウに運がいい状況まで
経験した私でした。
今思い出しても・・・ドキドキ!!

しかし・・・・冷静に考えると・・・
BAGが、財布も異常無し状態で、わたしのところにかえってきたことが
なによりの「奇跡」だったことを忘れてはいけなかったのだ。
携帯など、こわれても、買い換えればすんだことだものね。
大きい心配が解決したら・・・欲張りになってしまう人間の本質を
自分に発見してしまった。
みなさまも・・・・・大事なものに常に意識を集中されますように!!

2005.12.16(金)
そんな、BAG紛失のドキドキの気持ちが続く毎日であるけれど、
妹との電話で、母の病状・・についての、話し合いは毎日行われていた。
内容
村上病院で、2回、胃の出口付近の毛細血管の治療を受け、
胃カメラ検査で一応終了となっていたが、数日後、再度、胃カメラ検査の結果
胃全体が・・治療を要する状態に変化してしまったことが判明した。
原因はC型肝炎による肝硬変の結果らしい。
ほっておくと、どんどん出血してしまうということで
今日・・・・3回目の治療ということになった。
2回目の治療のあと、食事もよく食べ、老人車をおしながら院内を散歩するくらい
元気になっていたのに、またまた・・・治療〜点滴〜重湯からやりなおし〜〜。
それがかわいそうでつらい。
が、今日はきついけれど、土・日と元気になってくるだろう!!
点滴の時間が長いのが不便だけれどね。
やはり、一日でも長く生き延びるには、耐えなきゃ仕方ないよね。
2,3日の苦痛はかわいそうだけれど、やはり、寿命を少しでも長く・・・こう考えるのが
正しいよね。。。。これが、妹との話の結論。
今日の治療は、多分、午後になるらしい。
妹から「午前中に買い物なんかをすませて、午後は在宅していてね」と言われている。
もちろん、治療の日は、終日、電話の前に座っているよ。
妹のそばにいてあげられなくてほんと申し訳ない。
そういうことで・・・多分・・・今後、長期に「村上記念病院」に入院が継続するだろう。
そんなやりとりがあっているときに
われわれの、三人の子供達が相談して、「今年の、年末年始は西条で過ごそう」企画を
具体化してくれた。
親元に、帰省することもなかなか大変なのに・・・・
じいちゃん・ばあちゃん・・の住むところへの帰省(?)
ほんと、めずらしいくらいの・・・・祖父母孝行ものの孫たちです。(わたしの子供たちですが)
関東在住の長男一家四人&長女。
福岡在住の次男&我々。。
この、総勢8人が・・・・12月30日に愛媛県西条市に行くことになった。
羽田から松山の航空券・・・予約OK。
西条のホテルも予約OK!!・・・・母が入院している病院の正面にあるホテル!!
夫の両親は健在で、夫の弟妹家族も集まって・・・・大宴会になりそうです。
夫の両親と同居している弟は、孫たちが、祖父母のところへ帰省しようと企画してくれたことに、
そんな、優しい気持ちに喜んでくれて
「育て方が良かったんじゃない!」と、言ってくれた。
私の母は、入院中だけれど、孫を見れば、きっと思い出してくれるでしょう。
すぐに忘れても・・・ひとときでも喜んでくれれば・・・それでいいよね。
あとは・・・今の寒波がゆるんで、穏やかな天候になることを・・期待!!

そして・・・
今、12.16(金)の夕方。。
3回目の母の治療は、昼過ぎに行われ、無事終了。
病室にもどると、早速、お気に入りのトイレに行ったそうだ。
看護婦さんは、ポータブルトイレをすすめてくれたけれど
やはり、母にとっては、病室の前のトイレに行くことが、大きい仕事であり、
トイレに行けることが喜びだったのね。
「もう帰っていいよ」と、母が言うので、妹は、帰宅したそうです。
よかった!!無事に終わった!!
また、重湯と、具の無いスープからやりなおしだけれど、
点滴にしばられるけれど・・・・気力でのりこえてくれることを
祈りたい。
そして・・・
12,17(土)
妹が午前中に、母の様子を見に行ったら、前回の治療のときよりは
元気そうだったらしい。発熱も37度だいで、血圧も、静かにしていると正常。
看護婦さんが「動き回らないといいのだけれど・・・仕方ないですよね」と、おっしゃったらしい。
トイレに行ったり、ごそごそ動いては、疲れて横になりうとうと・・・そんな状況らしい。
この前、2回目の治療の翌日に、わたしが、母のお見舞いに行ったときと同じなんだろうね。
点滴が続き、食事は重湯や、スープだということだった。
それで、安心して、妹は、松山のほんものの家に帰って行った・・・ということだった。
なんで、おんなじ治療を繰り返すのか・・とか・・今後どうなるのか・・とか、さびしいとか・・、
今の母は、考えない。。考えられない。。
重湯を「ああおいしい」と飲み、設備のすばらしいトイレに自分で行けることに
喜びを感じる・・・それだけの毎日。
でも、逆に・・・・そのほうがいいのかもしれない。。。
妹と、しんみり電話でそんなことも話し合ったりした。
やはり・・・姉妹は・・・いいものだった。
母は相変わらず・・・「姉ちゃんは、小さい子がいるのだから、来ないように言っといて」と
妹に言うらしい。何度言ってもすぐ忘れるから・・「わかった」と、答えるらしい。
母は、何を勘違いしているのだろう???
誰にも、わからない。。

12.17(土)〜18(日)
大寒波・・大雪警報なのに・・・・次男は、土曜日の朝、広島のスキー場に
スノーボードをしに出発した。「無事に着いたら、メールで知らせる」と言っていたのに
深夜になっても、メールも電話もない。「無事に着いたらメールする」と言ったのにメールがない。。
相当気分の悪い一夜だった。こちらから「無事でしょうね」とメールを送り、電話もしておいたから
電話にはでないけれど履歴が残ったはず。。。
そして・・・日曜の朝、10時過ぎに・・やっと・・・電話があった。
無事だった。夜に帰るらしい。
みなさま・・・・いらん心配するな・・・・・と、思うかもしれないけれど
親は、子供がいくつになっても・・・無事を思うものなのですよ。
だって、3000グラムに満たない小さい小さい赤ちゃんを・・いつくしんで
育て上げ・・・立派な大人になるのをずっと見守って来たのは
父と母なのですよ。
うっとおしく思わないで、親に安心を与えてくださいね。
お願いしますよ。
いくら大人になっても・・・他人・・・・とは、絶対思えないのです。
やはり・・・・いとおしい子供達なのです。
今夜、無事に帰宅しますように。
通行止めが多いらしいが・・・。

今、12.18(日)午後11:00
少し前に、次男帰宅。よかった!!!
昨日、吹雪&通行止めを乗り越えなんとか宿泊先に着き、荷物を置いて、
隣町のゲレンデに行ったが、車が動かなくなり、JAFがなかなか来れなくて
一晩中、車の中で過ごしたらしい。友人たちと、5人で行っていたので、
全員が寝ると危険なので、順番に寝たとか。
JAFが来て、なんとか帰る事ができたらしい。
スノーボードは・・・・できなかったらしい。
「こういう天候ではスキーに行かないほうがいいねえ」と言ったら
「そう思う」と答えた。
昨日、行くのに反対しても・・・行ってしまったのに。
天気予報であれだけ、大雪警報をよびかけていたのにね。
しかし・・・次男らしい発言があった。
「よい経験をした。」
多分、「これで、またひとまわり人間が大きくなった」と、言いたかったのだろう。
次男は、難問がふりかかると・・・ひとまわり大きくなれるからうれしいのだそうです。
この歳になっても、男の子の気持ちは、なかなか理解できないものです。
奇跡が・・・・またまた・・・・おきて・・・
5人が無事に帰って来れました。
でも、いつも・いつも・・うまくいくとは限らない。
無謀なことをするのは・・・勇気ではないと思います。
でも、無事帰宅して、今、入浴中。。
疲労困憊が痛々しいが・・・・良かった&良かった!!
今夜は、安心して眠れる。

2005,12,23(金)祝日
終日天気が悪い。ウォーキングにも出かけられないで、一日中在宅。
ルネ香椎では、クリスマスイベント仮装エアロがあっているはずだが、
・・・・・・・・去年は、「NINA&HANAクリスマス仮装エアロ」だったから
ワクワク参加したけれど・・・・・・・・・
今年は不参加。
夫とTVやDVDを見たり、パソコンしたり・・・のどかにすごした。
次男は、明日、24日に大学時代の友人が結婚式をあげるので
パーティーの準備で、朝から出かけている。イベント企画が好きだから
いろいろ準備しているようだ。その友人と次男は、大学2年の夏休みに
1ヶ月ヨーロッパ放浪の旅を敢行した。航空券と、ヨーロッパ鉄道乗り放題の切符
そして、わずかのお金を持って。。。のみやしらみうようよのホテルに泊まったり
食事はすべてハンバーガーだったとかいう・・・恐ろしい旅行。
ふたりとも、建築学科の学生だから、ヨーロッパの建築を見るのが目的だったらしい。
主だった国、都市をまわり・・元気に帰国したものだった。
だから・・・次男は、はりきっている。
ああそうそう・・九州一周&四国一周ドライブもした友人だったね。
今は社会人になっているけれど、友情が継続しているのは
ほほえましい。
夕方、愛媛の妹から電話があった。松山の自宅に帰っているらしい。
当然、話は・・・・母のこと。
「3回目の治療のつかれがとれて、元気に院内を散歩したり病室の片付けしたり
食事も普通になり、入浴もできたりしているのに・・・・・
12月28日(水)に、4回目の胃の毛細血管の治療をすることになったよ。
治療のあと、疲れて、機嫌が悪くなるので、覚悟して、母のところへ行くように」と
言うことだった。
12月30日に、われわれは、西条に行く予定。
私が行っても、母は「MIEちゃんはいつ来るン?」と
妹を求めるだろうけれど、わたしが、帰省する期間は、妹には
松山でゆっくりしてもらうことに決まっている。
3回目(12月16日、金)の治療のあと、ころがるように痴呆が進み、
来週の4回目の治療の後、どうなるのか不安ではあるけれど、
「だれもが行く道」と、とらえよう。。。
そして・・・・「そのような心配もできない時が来ることを思うならば
どんな行動も、ありがたく・・・受け止めさせてもらおうよ。」と
妹と、話した。
私たちの母の場合は、大きな病気をかかえたうえに、アルツハイマー病でもあるので
いろいろな意味でややこしいことがおきてくる。
でも、なんとか、元気にしていてくれているからこそ・・・・ややこしいことも味わえるというものだ。
人生の終焉がおだやかであるにこしたことはないが、
そこにも・・・・それぞれの個性があらわれる。
だから・・・静かに、怒ることなく・・・見つめてあげたい。
最近の妹との電話は・・・いつも、そんなことの確認と
お互いの激励が多くなってきた。

2005.12.28(水)
ありがとうございます!!
長男の愛妻KYO〜ちゃんのママから、すてきなプレゼントが届きました。
なんと・・・
・・・・ワイン12本!!

一生分のワインが手に入った気持ちです。
足利のF子さま・・・ありがとうございました。
また、先日、愛媛(みかんどころ)の、夫の父から、みかんが一箱送られてきた。
愛媛のみかんのおいしさは格別!!
お義父さん・・・・ありがとう!!



そして・・・そして・・・・最近のヒット!!
それは・・・・ナショナルのラジオ
「TV−FM−AM3バンドレシーバー」
特徴
*大型ジャイロアンテナ搭載の高感度ラジオ
*エリアバンクと放送局名表示で簡単選局
*表示を見ながら選局できる前面集中選局ボタン
もちろんタイマー付。
この前の日曜日、夫と終日ウォーキングしたのだけれど、そのとき
ダイエー香椎店が閉店になり、その1階と2階に「YAMADAでんき」がオープンした。
それで・・・ウォッチングにでかけ・・・・ひとめで気に入り購入。
ラジオは・・・寝室にすでに、3台。
キッチンに1台。
夫の書斎に1台。
オーデイルーム(?)にはステレオ。。
いっぱいラジオはあったけれど・・・これは・・・当たり!!
中高年のラジオファンの皆様に・・・是非、お勧めしたい・・・すぐれもの!!

我々は、枕元にこのラジオを置き、毎晩、NHKのラジオ深夜便をボリュームをさげて
聴きながら・・・いつのまにか眠りにはいる。。
タイマーを、30分にして。
音質がいいのが・・・・さわやか!!
朝、目覚めると・・・このラジオをつけて・・・・TVを聴く。。これまた、音質抜群!!
ひさしぶりの・・良い買い物だった。

12.23(金)のところで、母の4回目の治療が12.30(金)と書いてあったけれど
それは、わたしの勘違いで・・・本当は・・・今日・・・12.28(水)だったのだ。
昼ごろ、妹が、「治療準備の点滴と鎮静剤がはじまった」と、電話してきてびっくり!!
「え〜〜!30日じゃなかったと??〜〜」「今日だよ!!」
それで、このHPの12.23のページも訂正したよ。
ということで・・・終日在宅で・・妹からの連絡待ちで過ごした。
夕方、電話があり・・・今回の治療は少ない部分で終わったので、
もう、点滴も終わり、食事も、夕食から、普通になるらしい・・・。
また、婦長さんから、今後も、こうやって、時々、治療しながら貧血を防ぐしかない・・・と、
言われたそうだ。
村上病院でしかできない治療だから・・・ずっと、村上病院入院ということか!

老人保健施設「ゆるぎそう」にいたころは、同室の方々とおしゃべりしたり
介護スタッフがたくさんいらしたから、刺激のある毎日だった。
だから、ストレスもあるけれど、脳の刺激があった。
だけれど、貧血がひどくなり、中央病院へ、そして・・村上病院へと転院して、
個室病室となり、看護婦さんと、あと、掃除や食事のスタッフの方の出入りしかないので
ひとりの時間がほとんどで・・・
・・・・ころがるように・・・・・痴呆が進んできてしまっている。
「ゆるぎそう」は、病院ではないから・・・帰れない。
だから・・・病院で治療を受け、貧血は改善しても・・・痴呆はどんどん進む。。。
全ては・・・求められない。
病気てきには、ベッドで静かに横になってすごさなければいけない状態なのに
いろいろ・・・ごぞごぞ・・・変な行動を、してしまう母なのです。
看護婦さんも「仕方ないですよね」と静観されている。
脚・腰も弱っているから、こける心配もあるけれど、ベッドに拘束するわけにもいかない。
だから、妹と「こけて骨折したとしても・・・好きに動いた結果だから仕方ないよね」と
話している。
とにかく、今の時期で、母がしたいことをできる間は黙認しようと・・・それしか仕方ない。。
痴呆が進む時期だったのかもしれないし、薬が効かなくなったからかもしれない。
今は、妹とふたりで、母の心配をしているけれど、私たちが、赤ちゃんだった頃、
そして、小さくて弱かった頃は、風邪だ、肺炎だ、腸炎だ、怪我だ・・・と
散々、母に心配をかけ、母に世話をしてもらったおかげで
立派な(?)大人に育ったんだものね。
自分が、母親になり・・・たびたび、子供たちが、風邪をひき、発熱し、
また、怪我で入院したりすることに遭遇しての・・母親の辛さを経験することで
育ててくれた、親のありがたさが・・・わかってきたものね。
いろいろややこしいこともあるけれど・・・暖かい気持ちで母を見守らなくては!
順番だよね。。。繰り返しだよね。。。
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